先ほど亡くなられた小野田寛郎さんと横井庄一さんを比べてみた

先ほど亡くなられた小野田寛郎さんと横井庄一さんを比べてみた

フィリピンのルバング島に終戦後、30年近くも潜伏生活を送っていた、旧日本軍の小野田寛郎さんが16日、都内の病院でなくなりました。91歳でした。

小野田寛郎小野田少尉は1974年に日本に帰国しましたが、終戦が1945年ですから、29年間ジャングルの中で生活していたことになります。

ただ、ひっそりとジャングルの中で暮らしていただけでなく、戦争はまだ続いているものと思っていたので、フィリピンにあったアメリカ軍へ奇襲攻撃を仕掛けたり、スパイ活動もおこなっていたわけですから、日本版ランボーみたいな感じです。

ちなみに、終戦後フィリピンはアメリカの植民地支配からは独立しましたが、フィリピンとアメリカ間で交わされた協定により、アメリカ軍はしばらくフィリピンにとどまっていたようで、これが小野田少尉に「まだ、戦争は終わっていない」と思わせたようで、長い孤独な戦いになってしまったようです。

孤独と書きましたが、当初は小野田さんを含めて4人の兵隊がいました。

のちに一人が脱走し、その後二人が地元警察との銃撃戦で射殺され、最後には小野田さん一人だけとなりましたが、これが1972年のことでした。

かつての上官らの説得でようやく帰国することになりましたが、様変わりしてしまった日本には馴染めなかったようで、先にグアム島から帰国していた横井庄一さんとは対照的だったようです。

ここでは、その小野田寛郎さんと横井庄一さんを対比させた表を作ってみました。

氏名 小野田寛郎 横井庄一
生年月日 1922年3月19日 1915年3月31日
出身 和歌山県 愛知県
最終階級 予備陸軍少尉 軍曹(伍長)
潜伏地 フィリピンルバング島 グアム島
帰国時の年齢 51歳 57歳
帰国年 1974年 1972年
帰国時の言葉 天皇陛下万歳 恥ずかしいけれど、帰って参りました
帰国後の生活 ブラジルで農場経営 評論家や講演活動

 ※横井庄一さんの言葉として、「恥ずかしながら帰って参りました。」は流行語になりましたが、本人は「恥ずかしいけれど、帰って参りました。」と言ったようです。

小野田さんはブラジルで牧場経営を成功させた後、サバイバル塾の「小野田自然塾」も主催や講演活動もおこなっていました。

小野田さんのご冥福をお祈りします。

 

 ビートたけしさんが小野田さんにあった時の話をしています。↓

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