江戸時代はヤブ医者が多かったので神社や寺が精神科の役目をしていた

江戸時代はヤブ医者が多かったので神社や寺が精神科の役目をしていた

古典落語の噺の中にはよくヤブ医者の話がでてきます。

手遅れ医者なんて言って、誰を見ても「これは手遅れだ。」が口癖で患者をみんな見殺しにしてしまうなんて、ひどい話もありまして、ある時、患者を町医者のところへ連れて行くと。

「ああ、これは手遅れだ。」

「先生、これ手遅れですか?今、屋根から落ちたばかりですよ。」

「おしいなぁ。落ちる前ならなんとかなった。」

もちろん落語の中の話ですが、江戸時代はなろうと思えばだれでも医者になることができました。

当時の医者といえば、剃髪と言って頭を丸めるのが普通で、坊主頭にしているのは医者かお坊さんくらいだったそうです。

なので、することがないから頭を丸めて看板を掲げたにわか医者というものも多かったそうで、医者で食えなきゃまた別の仕事を始めるという具合で、町民のほうもそれほど医者を当てにしていたわけではないようです。

そもそも、当時の医療ではガンのような重篤な病気は、誰にも治せなかったし、風邪や腹痛くらいなら漢方薬で治したり、訳の分からない民間療法みたいのをやっているうちに症状が引いてしまったりといった具合で、医者に掛かるということもあまりなかったようですが。

今のように薬もない時代のことですから、精神病なんかは町医者ではどうすることもできません。

物の本によると、江戸時代の精神病患者のケアはお寺や神社が担っていたようです。tera

今でも、滝に打たれて精神を鍛えることをしますが、医学的な見地から、これはまんざらデタラメでもないようで、後頭部へ滝の刺激を受けることで、興奮状態を静める作用があることがわかっているそうです。

また、お寺で規則正しい生活を送ったり、もろもろの雑事をしたり、時には周囲の農家の畑仕事を手伝い、共同作業を行うことで人との絆を深め、社会生活に溶けこむようにしてゆくなど、なかなか理にかなっているように思えます。

現代は、薬という便利なものが開発されたためにかえって、頼り過ぎになってしまっている面もあるのではないでしょうか?

年々医療費がふくれあがっている昨今、このような昔の知恵も現代に生かせると、高齢化に悩む農家や檀家の減っているお寺にとってもメリットがあるんじゃないかと思います。

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